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2011年3月13日 (日)

山月記のなぞについて

山月記といえば高校の教科書に必ず載る文学作品ではないでしょうか
私はこの作品について論文を書いたことがあり、そのとき書ききれなかった部分についていつか書きたいと思ってきました。

ブログに書くに当たっては、場が適切だろうかと少し疑問に思う気持ちもありましたが、どうしても書きたいことであり、また、このブログの大きなテーマである、心にも関係することなのでどうぞ読んでみてください。

私が書いた論文というのは、私が筑波大学と上智大学の大学院修士課程入学の受験に際して提出した論文であり、出身が文学部国文学科だった私は、考えあぐねた挙句、文学作品である山月記の中にの主人公「李徴」の心理を分析するという内容の論文を書いたのです。

山月記では才能に恵まれた李徴が詩人を目指すもかなわず発狂して虎となってしまう。その1年後友人である袁参ががその虎と出会って虎である李徴の告白を聞きます。そして別れ際に、自分が心を狂わしてまで取り組んだ詩を後代に残したいとの思いからかつてつくった30篇の詩を読み袁参はその詩を聞き部下に書き取らせた。
しかし袁参はその詩を聞きながら、作者の非凡な才能を感じながらも、第一流の作品となるにはどこか非常に微妙な点において欠けるところがあるような気がすると感じていた。

この非常に微妙な点において欠けるところとは何なのか

これが山月記におけるなぞなのです

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このなぞについて私の結論を書こうということです
さてこのなぞがなぜいまだになぞのままなのか
それはこの作品中に書かれていないからに他なりません
かかれていないものはわからない、それをあれこれいってみても無駄なことという過去の論文もありました

実はこの作品中には30篇の詩の内容については言及はありませんが、
李徴がお笑い草ついでに虎になった自分の今の心境を詩に詠んでみようと詠んだ詩については山月記本文中に記載されており、唯一のヒントとなっています。

私の推理過程(推理とは言いたくないですが)としては、

  1. 文中に書かれていない30の詩には、どこか微妙に欠けている点がある
  2. それは文中の詩にもあるはずである
  3. 文中の詩には虎になった理由が述べられていない
  4. ここで李徴が自我の醜さを赤裸々に告白している山月記本文と、それが書かれていない文中の詩を対比構造で考えてみる。
  5. 文中の詩は仮面的表面的あるいは客観的傍観者的記述であり、対して山月記本文にある李徴の告白は真実の吐露である
  6. 文中の詩には激しく心揺さぶられるものがなく、李朝の告白にはそれがある
  7. 李徴の告白(つまり山月記本文)は一流の作品となりうるが文中の詩では人々の心を揺さぶるものが欠けていて一流の作品にはなりえない。
  8. このことが文中にない30篇の詩についても当てはまるだろうか?文中の詩1篇の詩がそうだということと、30篇の詩、李徴の詩全般について言えるかということの間の飛躍を埋めなくてはならない。文中の詩では、虎になった自分の身について語るうえで、仮面的表面的となっていることが言えるが、30篇の詩がすべて自分の身の上を語る詩であるわけではないだろう。
  9. ここからは心理学的知識を読み解く上での介助知識として使用する。実は知識などではなく、私の自己分析から得たもの実体験と重ね合わせての感得によるものだということを述べておきたい。本に書かれているような知識も、それは本で学ばなければ得られないものではなく、最初は誰かが発見したものでありそれは誰にでも他人から教えられることなく、自己の中に再発見できるものなのだということである。
    さてその知識とは、臆病な自尊心しか持ち得ない人間、つまり他者との比較において、他者に優越することを最大の価値とする人間にはとらえられない感性というものが存在するということである。
    例えば自尊心と聞いてなにをイメージするか?という問いに対してある研究者の論文では「そもそも自尊心とは自己と他者の関係における一種の自己顕示であり、自己存在の主張であろう。とすればこれは本来的に自己本位であり、自己中心的であって、必然的に他者の軽視からさらに否定につながるものである」と書かれていた。
  10. 思考の枠というか心の枠というのは恐ろしい。なぜならその人の、思考や感性を狭めてしまい、世界をあるがままに見られなくしてしまうからである。私も以前そうであった。他人の努力に対してそれが低いレベルのものであれば内心くだらないと思いつつ世間体で心にもないほめ言葉を語るような人間であった。今なら、ほめるというのではなく、その人自身の成長やそのとき感じる達成感のようなものに興味を感じ、
    詳しく話を聞き共感の糸口を探ったり、何か自分に置き換えてのヒントを得ようとするだろうと思う。残念ながら今でも私はその種の何かを達成した時の感動や喜びについて感じる能力について弱いのではないかと思っている。何かに打ち込み、たとえ失敗して何も得られなくともそれでいい、自分は全力を尽くした、やり遂げたというような経験、が足りないせいなのかもしれない。しかし以前のように、カッコばかりつけている批評家然とした自分からは多少抜け出せるようになり、その結果得られたのは、他人との比較などでは揺るがない、自尊心であった。
  11. 李徴が臆病な自尊心を持つがゆえに得られなかった感性とは?例えば、何かを達成したときの感動、自分をほめたいような気持ち。についても、その人のすがすがしい表情を見てもそれに気づけなかったかもしれない。また、農作物を育て、収穫するときに感じる喜び。なども感じ取れないだろうし、自然の動物や、植物が生きていることに対して、尊いと感じることもできないだろう。
  12. 山月記本文中にこんな記述がある「まったく何事もわれわれにはわからぬ。理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受け取って理由もわからずに生きていくのがわれわれ生き物の定めだ」自分に都合の良い運命論をこしらえてか、どこかから引っ張ってきて当てはめているに過ぎないように私には思える。実感や経験の伴わないこしらえた文章というのはあるコツというか解析方法でわかる。この本文中の記述について思うのは、おとなしく受け取ってなどということが果たしてあるのか、少なくとも人間なら逆らい、戦い、そしてあきらめ、しかしあきらめきれずに祈り、そして受け入れる。受け入れたときに、希望が見え、理由がわかり人生に意味が生じる。そのようなもっと動的なものであるはずだということである。
  13. ここまですでに言い尽くしていると思うが、結論を書かなければならないとしたら
    「非常に微妙な点において欠けるところ」とは何なのか
    の答えは、、、臆病な自尊心を持つために、共感能力を欠く李徴の心ということになります。そういった心ではとらえきれない人間の性情、あるいは価値観があり、描こうとしても表面的になり読者に微妙な違和感を感じさせ、人々の共感を得られない、心を揺さぶられないということなのだと思います。 

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コメント

この山月記のなぞの解析について、とても理解できます。やや角度が違う視点かもしれませんが、私は人間は人間である以上、他者に共感できるものを共同体や社会の中で表現することこそ、その人間の行いの価値を意味することだと思います。しかし、ここにトラップがあります。その価値とは、社会の中で必ずしも表面的に絶対視される立場とか、社会において大きく超越する作品とか、そういった基準でとらえられるものでは必ずしもないと思います(つまり相手が人間ですから、そして共感を持つのも人間や社会ですから)
日々の生活の中でたとえ卑近でも卑小でも、他者や共同体や身近な人間に共感できることを表現(仕事でも生活でも、そして創作でも)するという作業そのものがまさに重要だと思います。その中から真の時間や空間に耐える価値が生まれうると信じます。実は、私自身も山月記を読んだために人生で李徴のトラップに陥りかけても陥らなかったと思います。李徴が、詩作でこの世で超越したいと願望することとか、官僚社会で不満を持ったとか、そういった価値基準はまさに他者との共感に目をふさいだものであったと思います。そして、それは人間の感動とか、そういった価値と相反するものだったのではないかと思います。(やや飛躍しますが)ひょっとしたら社会から逃げ出して一部の共同体での共感を求めたオウムの人たちは本当の共同体社会の共感の大切さを知らなかった人たちかもしれません。

コメントありがとうございます
確かに角度が違う視点かなとも思います

既存の価値基準で認められずとも、自分の中のもっと原初の感覚にしたがって生きることが、実は他者の中に眠る感覚を呼び覚まし感動させるのではないか?

そんなことを思いました。

holyさんのおっしゃる、真の時間や空間に耐える価値にもつながるでしょうか?

ただこの原初の感覚を一足とびに得ることはできず、既存の価値基準に漬かって周りを打算的に評価しているような自分自身を正直に認識していくつらい過程が必要なのではないかと思います。

李徴の告白こそ、その過程と言えるのではないかと思います。もし李徴がこの告白の後、人間に戻る事ができたなら、一流の詩人となれたのではないかと思います。

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