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2011年3月

2011年3月30日 (水)

勝間塾に参加しました

経済評論家の(という肩書きではすでに語りきれない)勝間和代さん主宰の勝間塾の第一回目のセミナーが本日行われて参加してきました。

時間は90分で、その中で今回の勝間塾の目的など語られました。勝間塾の立ち上げに際しては過去に勝間さん自身も他の方主宰の勉強会で学んだことがあり、その経験を元に、皆さんに成長のためのコミュニティーの場を提供したいと考えられたそうです。

本日は手元にA4用紙7枚(裏表で14ページ)の資料が手元に配られ、その資料の流れに沿って勝間さんは話をされていました。しかし、その資料は検索ワードとして使用されているに過ぎず、関連するさまざまな内容をよどみなく流暢に話されていました。講演のプロという感じですね。エーとかアーとか詰まることは一切なく、この方は人間ではなくロボットではないだろうかという気もするほどでした。

しかし決して、人間味がないわけではないです。身近な話なども織り込まれユーモアもあります。しかし、そのようなお話の中で感じたのは、勝間さんというのは、普段の生活をボーっと過ごしているのではなく、そこから何かしらの教訓(学び)を引き出して来ているということです。ですから、話が膨らんでいたり、それたりしているようで、しっかり、中心の課題と直接つながっていたり、どこかで戻ってきたりするのだと思います。

とここまで書いてきて、次回の勝間塾での私のテーマがひとつ決まりました。勝間さんのこのような私生活における学びのシステム、に注目して話を聴くです。勝間さんはまるで呼吸するように勉強しているように見えます。その呼吸を私自身感じるように話を聴いてみようかなと思いました。

セミナーでの具体的お話については、このブログに書きすぎるのも、ちょっとルール違反になる気もするので、今すぐには具体的には語りませんが、私の独自のテーマなどを語る上でヒントになるようなことがあれば、そのつど引用して取り上げていこうと思います。

さて少しだけ宣伝をしますと、この勝間塾は会費は月4800円。参加者は月一回の定例会
(セミナー)受講ができるが、セミナー参加は別途会場費用を負担。ユーストリームでの受講は無料。またオーディオブック、資料などをオンラインでもらえる場合あり。またオンライン上のコミュニティに参加できるIDが配布されます。毎月課題が出るのですが、その課題について話し合ったりすることが可能で、会員同士切磋琢磨して学習する場を提供してもらえるという特典となります。

この中ではこのオンライン上でのコミュニティーに参加できるというのが、もっとも大きな特典ではないかと、お話を聴いて感じました。勝間塾にこれだけ多くの会員が集まったのは、、勝間さんのこれまでの数々の実績があればこその成果といえると思います。その方たちをまとめコミュニティーとして提供していただけるというのはとてもありがたいことなのではないかと思っています。ちなみに本日会場に集まったのは、約500人でした。

最後に勝間さんの本を一冊推薦しておきたいと思います。今日のセミナーの中で参加者の方からの質問に答えて、商売をする時に、売り上げを上げる、利益を上げるにはどうすればいいかという内容のお話をされました。その内容をもっと詳しく知ることができるのがこの本です。いろいろなファクターがある中で、そのいろいろなファクターをたった一つの方程式であらわしてしまっているというすごい本です。

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記者クラブ問題解決法

上杉隆氏の活動によって知られるようになった記者クラブ問題ですが。いまだに解決していない。なぜ解決しないのか、どうやったら解決できるのかを考えてみた。

なぜ解決しないのかだが、私たちの問題意識が希薄であるのが原因ではないか。そのため問題が問題として認識されていない状況である。

なぜ、私たちに記者クラブ問題に対する意識が希薄なのかを考えてみよう。
上杉さん他フリーランスの方々が記者クラブに対して、取材を許可するよう働きかけても断られているとの話があるが、それは上杉さん口から語られるだけで、いったいどのようにどこに働きかけてという具体的姿が想像できない。これは記者クラブが取材を拒否しており、映像その他で伝わってこないこともある。しかし、もうひとつには、記者クラブというものの実態が明確でないということにも原因がある。

私が、上杉さんはじめフリーランスの方に望むことは、記者クラブ問題における敵を特定して欲しいということだ。

具体的には、記者クラブ所属マスコミの特定。その中でも、フリーランスを締め出しの強硬派、維持派を特定することをして、私たちにもわかるようにして欲しい。これは、記者クラブ所属マスコミに対して、アンケートを実施して、アンケートの回答の有無と、そのアンケートの内容によって色分けすればよいと思われる。

さてここまで行ってもえば、私たちにもできることがある。フリーランス締め出しの強硬派、
維持派のマスコミに対して、①不買不視聴運動②取材拒否や、街頭インタビュー拒否③世論調査拒否など行えば良い*もし態度が不明のマスコミに対しては、そのつど「御社の姿勢は?」と質問してから取材の是非などを決めるようにすれば良い。そして回答については言質をとり、自由報道協会に連絡するとすればいいのではないか。(ちなみに自由報道協会についてはこちらをクリックしてお調べください。)


2011年3月27日 (日)

本の紹介「禁煙セラピー」「ダイエットセラピー」アレンカー著

私がこの本を読んでタバコをやめたのは13年ほど前のことです
今でこそ有名になりましたが、私がこの本を買った時はそれほど有名ではなく、
少しして、日本経済新聞に書評で取り上げられ、また、トミーズの雅さんが、この本を読んで禁煙に成功したという体験談が帯に書かれるなどしたのをきっかけとして大ヒットになっていった。と記憶しています。最近では、勝間和代さんもこの本を推薦していらっしゃいます。

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私はこの本を西船橋駅の構内のキヨスクで発見し即購入しました。なぜ即かといいますと、まず目に飛び込んできたんですね。極端に言うと運命のように感じた。そんな感じです。そして近づいてその題名にセラピーということばがついているのにも惹かれました。当時私は深層心理学、分析心理学のユングの著作を読みまくっており、心理療法を現すこのことばを使用している事でこの本への信頼感を抱きました。

この本の内容をあまり詳しく言ってしまうのは、もしかしたらこの本の効果を損なってしまうかもしれませんので、核心部分については語りません。まずこの本を読んでの禁煙成功率は90パーセントとの事です。どういう方が成功しないかというと、別に禁煙できなくてもいいやとか軽い気持ちではじめる方は成功しません。今まで禁煙に挑戦して失敗したけどそれを下手な言い訳でごまかす気持ちのある方、例えば喫煙が本当にがんの原因になるかは分からないじゃないか、ずっと喫煙していてもがんにならない人もいるし。などといっている方にもむきません。今まで散々禁煙しようとしてきた。でもいろんな誘惑に負けたり、つらくてどうしても3日と続かない、どうにかしてやめたい。助けて欲しい。こんな方には大いに助けになるでしょう。

さてこの著者のアレンカー氏はその後、ダイエットセラピーなど、喫煙以外のその他の健康に関する著作も出されています。私はダイエットセラピーも読みましたが、この本の中で取り上げられている、食事法は私の研究とも合致しておりおすすめします。

さてその食事法ですが、これは、フィットフォーライフという食事法が元になっているのではないかと思います。あわせて紹介します。

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ちなみにその後同じ出版社で~セラピーというシリーズ化が行われているようですが、アレンカー以外の著者が出している本もあり、それはちょっと反則ではないのかと思い読んでおりません。

2011年3月26日 (土)

産経新聞の書評から、「臨床とことば」河合隼雄、鷲田清一著

ブログに書くねたがなくなると過去の日記を掘り返して題材を探してくることにしています。
というわけで、いつの記事かはわからないのですが、産経新聞の書評からです。

ブログの記事の中には、書きかけの項目もあるというのにいいのかなあとも思いますが、今はその意識に達していないというようなこともあるわけですね。

ちなみに前回書いた、夏目漱石の記事の中で、夏目漱石の講演の話しをしましたが、夏目漱石の講演も、割とこんなぐだぐだな語りから入ったりしてるんですよね、夏目漱石著私の「個人主義」どうぞお読みください。

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さて河合隼雄氏はユング派の心理学者ですね。というか今はなくなられていますが、日本にユング心理学を広めた方で、第一人者ですね。鷲田清一氏というのは私は良く知らないのですが、論壇で人気の臨床哲学者だと紹介されています。その二人の対談集だそうです。この書評の中で、その対談の内容が紹介されています。

心理療法の現場では「聴く」ことは重要だ。「私は田舎の生まれ」という相手に「自然に恵まれていたのですね」と応じると、不便さを話そうとしていた相手の心の動きを止めてしまう。日常生活にも当てはまるコミュニケーションのあり方を示す。

この内容はとても示唆に富むと思います。まず、「自然に恵まれていたのですね」と応じたのはなぜか、という点を考えると、もしこれが相手のことを肯定的に受け止めて会話をしようとした結果であれば、肯定的な部分しか受け入れてもらえないのではないか、否定的なことは言ってはいけないのではないかという意識が生じてしまう可能性があると思います。(住んでいた場所が不便だからといってその人のマイナス面ということにはならないと思うのですが、無理に肯定的な側面に焦点を当てて楽しい会話に持っていこうというような意図を感じてしまうと、マイナス的なことを言わないほうが場の空気を乱さずいいのかなという気持ちになってしまうということはありえそうです。)

もしこの聴き手がその時の相手のリアクションから、違和感を察知して、「ところで田舎というのはどこなんですか、ちなみに私は新宿の出身でまあ人里はなれたとかあまり想像はつかないですけど、良く筑波山とか近くの山に登るのは好きなんですよね。旅行も長野とか東北のほうに良く行きます。」なんて話していれば、「先生はそういう観光地しか行かれてないようですけど、何もなくて過疎のようなとこは不便なだけですよ」と返したかもしれない。

まあ、最初の「自然に恵まれていたのですね」というこの言い方から私には、この聴き手に違和感を察知する能力があるとは思えないのだが。その理由については、過去の私のブログの記事、①正直に気持ちを伝える会話術②心を読む方法③感情移入とは何か。などを読んでもらえば、お分かりいただけるのではないだろうか。

やったープログラムが動いたぞ。(つまずきの原因はなんだったのか)

私のプログラミング挑戦は、まずプログラミングの概念をつかむことから始まったのでした

このとき使った本3月13日にスタート、、、「これからはじめるプログラミング基礎の基礎」技術評論社
●ここで思ったのは、この時点で私はPC検定4級をとっており、エクセルの知識が少しあったのですが、その知識がないと苦しかったのではないかと思います。あっても十分苦しかった。

次に読んだ本3月19日にスタート、、、「はじめてのJavaScript」天野友道著JavaScript辞典(株)アンク
24日の昼に、最初買っていたプログラムの本に挫折したのでした。
●まず、例文にHTML部分が省略されておりそこを書いていなくてプログラム動かず(実は後述する理由だったかもしれない)、一緒に買ったJavaScript辞典(株)アンクにもHTML部分が省略されていた。

25日に買ったのが、、、Head First JavaScript  オライリー社、、、600ページの厚い本
と、ホームページにそのまま使えるJavaScript技術評論社
そして勉強をはじめたのですが、プログラムを書いてもやはり動かず。
●まずプログラムの文をメモ帳に書くのですが、うまくいかないと書き直すとして、その際の上書きの仕方がうまく分からない。結局保存した物を右クリックしてプログラムから開くの時に、ブラウザを選ぶか、メモ帳にするかでやるのが便利に気づきました。
●プログラム文で他のファイルを呼び出すようになっているのですが、その時同じフォルダーにいれとかないと呼び出せないよというのを知りませんでした。
これが最大のつまずきでした。ジャバスクリプトの書き始めのとき、「はじめての~」では<SCRIPT>それ以外の本では、<script type~>と書いてあったのですが、ここを<script>
(<SCRIPT>でもいいのかもしれませんが)にしたら、プログラムが動き出しました。

「やったー」でした。
まあこれからまだまだつまずき、うずくまり、天を仰ぐことがあるかもしれませんが

作家塩野七生さんが感じた、左翼とマスコミへの不信感

以前産経新聞の話の肖像画で紹介された塩野七生さんの体験談を紹介します

内容としては60年安保の時の話で、このときの体験によって、塩野さんは左翼とマスコミを信用しなくなったとのこと

まず首相官邸を取り囲むデモ隊に選ばれたのがもっとも穏健といわれた慶応と学習院の学生だったこと。もし全学連の指導層が本気なら一番先鋭的な大学のデモ隊をそこにやるべきなのにそうはしなかったのを見て、偽善だと感じて以後左翼を信じなくなったとのこと。

もうひとつは、そのときわざと門を開いてデモ隊を引き込んだ(塩野さんは「私はこの目で事実を目撃しているんです」といっています。)とのこと。しかし、マスコミは知ってかしらずかその経過をまったく報道しなかった。結局テレビや新聞の報道では首相官邸の門が偶然開いて中になだれ込んだデモ隊と警官隊がもみ合いになったことになっていたそうです。
塩野さんはわなだったのだと思うと言っています。

マスコミが経過をきちんと伝えてくれれば、多くの人は正確な判断を下せるようになると思うのに、マスコミは始まりと終わりしか報道しない。といっておられます。

現在記者クラブ問題など、大マスコミのうそが暴かれつつある現在ですが、もっと以前からその体質はあったということで興味深いです。ちなみにこれも新聞記事ということで、本当に信頼が置けるのかという一抹の疑念がありますので、聞き手の名前を挙げておきますと

聞き手 桑原聡 と書いてあります。

2011年3月25日 (金)

夏目漱石の言葉を紹介

「満身の力をこめて現在に働け」夏目漱石

これは以前産経新聞の今日の言葉という欄に紹介されていました
補足説明として

1900年(明治33年)5月からの英国留学体験記録「倫敦消息」から。
「みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ」に続けて、「これが私の主義」だと書いている。

という記述があります。
夏目漱石というのは、啓蒙主義の作家と文学史の本などでは書かれています。
でもこの言葉、中学生とか、高校生でもちょっとわからないのではないでしょうか。啓蒙というのは人の意識を高めるというような意味があると思います。

私がこれまで読んだのは、小説「こころ」と、「坊ちゃん」講演記録である「私の個人主義」だけです。これ以降は、過去の記憶をたどって概要についての私の感想です。

「こころ」については、夏目漱石自身が「人間の心理を学ぼうとするものはまずこの小説を読め」と自信を持って語っていたように、人間のさまざまなレベルでの意識がとてもよく描かれている作品だと思いました。現在でも少しも古びていない。作者の視点は自我を超越した意識から自我を見ているそういった視点だと思いました。

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「私の個人主義」ではそういった視点を持つ作者だからこそ得られる、ある種の自在性、融通無碍、ユーモアのある語り口の講演の記録となっています。内容についても、社会の本来あるべき姿と個人の自由な生き方とは本来共存するものであることが書かれています。
これから社会にでる大学生に向けた講演もあったようです。

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私はアルバイトで働いていた大学生が卒業で辞めていくときに、一人に「私の個人主義」を
もう一人に「こころ」をプレゼントしました。本に加えて鍵山秀三郎の「凡事徹底」というカレンダーを送ったのを覚えています。

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感情移入とは何か、「山月記のなぞについて」もあわせてお読みください(書きかけですが読んで欲しいです)

15年ほど前に抱いた疑問です。本を読むときなど、主人公に感情移入することが大切など言われますが、私はそのことについてわかったつもりでいた。というかそういう周りで使われている言葉についてごく普通に何も疑問をもたず当たり前の前提として飲み込んで生きてきたのだと思います。実は後で考えると良くわかっていなかったようなことなのに疑問を持たず生きてきてしまっているということがなんか不思議ですが。

さてここでいいたいのは、感情移入とは自分の感情を他人に移入することなのか、それとも他人の感情を自分に移入することなのかどっちなんだということです。この言葉の主語は何なんだ?と思ったわけです。

自分の感情を他人に移入するという場合、他人の状況を当てはめるということはあるにせよそのとき自分ならどう思うかという話でありこれは先入観につながるとも思うわけです。実はそれでいい場合もあると思います。その状況で感じる基本的な五感の感覚、汗を流していて熱いといっている主人公であればある程度共通の感情というのはあるように思うからです。暗闇から突然現れた人影に驚いたというのであれば、これは少し難しいかな、このときの驚きの感情というのはそういうことを現実に経験している経験数はそんなに多くないだろうし(これは私の経験)そのときの感覚がしっかりとココロに刻まれているかというと、それも人によって異なるような気もするし。(これ以後書きかけ項目にしますwakupedia)

一方、主人公が明確にさびしいなど語っていて、それにあわせて行くのであれば相手の感情を移入しているといえるかもしれません。さびしいと言う時の相手の感情を自分に移入するという場合、大枠は決まっても細部においては自分の独自の物が入ると思います。私は最近パソコンを勉強しているので、パソコンの機能でたとえてみますと、感情ダイアログのさびしいタブまでは決まってもその大きさ質についてはこちらで入力値を決めなければいけない。といった感じです。(これ以後書きかけ項目にしますwakupedia)

さて実は結論はもう決まっているのですが、考えの伝え方にまだまとまらないところがあり
ますので書きかけ項目にさせていただきます。

尚、この内容は、以前の記事「山月記のなぞについて」にも関係することだと思います。是非そちらも読んでください。今回は感情移入の話で、山月記では共感能力について語っています。

2011年3月24日 (木)

ヒューマンエラーの心理学(第3回)

前回ヒューマンエラーを6つに分けて考えるという話をしましたが
今回はその中のセンスについてお話したいと思います

センスのエラーはどういうときに生じるかですが、
これは何かを回想しているときに起こりがちです。何かを考えているときということです。
何かを考えているときは当然自分の意識は内側へ、そして現在ではない過去(のほうが多いような気がします、つまり回想)、または未来へ向いている状態です。その結果、五感からの情報収集がおろそかになってしまうということですね。

ただこれには個体差があるような気もします。いくら考え事していても、明暗や色識別能力の高い方(これは脳のさまざまな機能の基本となる能力でもあるそうですが)は、エラーにつながるほどの自体には及ばないということもあります。

少し話題が離れますが、これは心理学者ロジャーズの「今ここに生きる」というのにも似ていますね。

ちなみにセンスのエラーの理由として、上に挙げたのを内的な要因とすると、外的な要因としては、処理しようとする事柄が新規の事柄ではなく、習慣的になっており容易に処理できる事柄において起こりやすいという傾向があります。

これはヒューマンエラーを2つに大別したときのミステイクの例しょうゆとソースの取り間違えの例でもいえることです。そしてこれはメイ(MAY)とも少しかかわってくるのです。
厳密には正しいかわかりませんが、一応整理のために書きますと、
ミステイク=センス+メイということになるでしょうか

2011年3月23日 (水)

荒川静香語録

荒川静香さんの言葉を二つ紹介します
ひとつはソルトレーク五輪で金メダルを取ったロシアのヤグディンの演技を見ての発言
というよりヤグディンの生き様について素敵だと思いましたという発言です
確かインタビュアーから、それを見て感動したわけですねと聞かれての答えで、
感動というか(ここで少し言葉を捜すような間があって)とても素敵だと思いました
この発言をするときの荒川さんの本当に感嘆した口調がとても印象的でした

この発言をした背景いきさつについては以下のリンクからどうぞ

『ベストハウス123』荒川静香が選ぶフィギュアスケート名演技

後もうひとつは、荒川さんが金メダルを取った五輪のフリーの演技の前に考えていたという
自分の力を出すためには、何かを狙っちゃいけないと思っていた
という言葉です。

この気持ちについて違う言葉でいうなら、自然ということでしょうか、
目的を捨て、自分の内なる自然に従うというような意識でしょうか

首のコリと無意識との関係についての仮説

あるとき霊能力があるといううわさの方を人ずてに紹介してもらいました
これは私が気功を習っていて、当時の上司がそれなら○○さんと話が合うのではないかということで、紹介してくれたのです。実際には私はいわゆる霊能力者というのはあまり好きではありません。霊能力というのはあると思うのですが、それに特化して自分を名乗るあるいは周りから称されるような生き方というのはよくないと思うのです。

まあこの方がだめというのではないのです。しかしそこにばかり注目を集めてしまっているのなら、少し方向を修正したほうがいいのではないかとも思っています。

さてその方とお話をしてその方が良く行っているという高尾山に行って、滝行をやろうということになりました。その道すがら、何か体の悪いところがあれば見てくださるということで、見てもらったときに、あれ体の右側おかしくないとのこと。実は私は、首の右側付け根が良くこるんです。以前は背中全体がすごく凝っていたのですが、私の習っている先生の開発した気功の方を続けることで95パーセントくらいのこりはなくなっていたのですが、右の首の付け根のこりはどうしても最後まで取れませんでした。

というわけで、当たったわけです。そしてしばらく肩に手を当ててもらっていたのですが。その後しばらく歩いていると、首の付け根のコリがなくなっていました。

実はここからこそが本題です。
私は、その凝りがなくなったことを好機だと考えました。この後自分の生活を注意深く観察してこの右首のコリの原因を突き止めてやろうと思ったのです。
その結果わかったことは、何か反省や、後悔や、自分を責めたり正当化したり心の中でぐちゃぐちゃ考えているとこの凝りが生じてくることに気づきました。
そして、逆に相手を攻めているときは、左の首が凝ってくるような気がします(これはちょっとデータ不足ですが)

さてこの話だと、この記事を読んでいる方に対する説得力が少し弱いと思うのですが、
その後ある本を読んでいるときに見逃せない記述がありました。それは「ビジネスマンのためのブレインジム」という本の33ページにありました。「首の緊張は、話をしたり、考え事をしているときにのどの筋肉が硬くなってくるために生じます。」と書いてあったのです。

実際に声を出していなくても、考えているときも心の中で声を出しているので筋肉に影響があるということであると思います。これは、すごい指摘だと思いませんか。

これは少し推測が入るのですが、私たちは実際に口に出す以上に心の中で口に出さずにしゃべっている。そしてそのような時の筋肉の使われ方は、とても不自然になるのではないでしょうか。自然ではない中途半端な筋肉の使い方がこりの原因になるのではないかと思うのです。

2011年3月22日 (火)

私の日記によると2008年6月14日にも岩手で震度6強の地震があった

過去の日記を読んでいて、2008年6月14日にも岩手で震度6強の地震があったことがわかりました

この4,5日前に、千葉の上空で地震雲らしき雲が出てい他という記述もあります。
とりあえず、その事実だけこの記事では書き、もう少しその後の状況なども調べてみたいと思います。今後に当てはめて活かせる事があるかもしれないので。


国際結婚をした友人の結婚式で

中国人と結婚した友人(女性)の結婚式での新郎の挨拶がとても日本人の男には言えないような内容で、驚いた
「世界一美しい女性である、私の花嫁○○のためにお集まりいただき~」
「世界には30億もの男性がいる中で、その中のたった一人に私が選ばれたことは~」
というようなフレーズがありました。

確かそのとき新郎は中国語か、英語で話していたような、3年ほど前のことでよく覚えていないのですが、

今改めて考えて見ますと、元々そういう文化なのかなという気もしますし、もしかしたら何回か前の記事で書いたように、言語体系の影響もあるのかと思いました。もしも、英語なら、上の文章は、最初の文は関係代名詞を使った文と思われますし、2番目の文は最上級を使って表現できると思います。少なくとも、日本語の中で表現するより垣根は低いのかなと思います。

ちなみにこの挨拶をしたときの新郎は何のテレもなく堂々としていて、さまになっていた。

ヒューマンエラーの心理学(第2回)

前回ヒューマンエラーには2種類あることを述べましたが
私は自分のエラーを解析するのにもう少し細かく分けたいと思います
スリップというのはそのままにして、主にミステイクの領域を細分化したいと思います

ここからは、自分が勝手に分類して、名前も勝手に付けています

センス(英語のsense)、、、ミステイクの原因を分析すると、五感からの情報収集がうまくいってないことが多いことに着目して、その状態をまたはそれが原因で生じるエラーをセンスと名づけました。主に資格からの情報が欠如していることが多い

ウィル(will)、、、近未来における、当然なされていい推測がなされなかった状態またはそれが原因で生じるエラー。具体例を挙げますと、良く自動車教習所で目の前にボールが転がってきたら、それを追いかけて子供が飛び出してくる可能性があるから注意しましょうという問題がでますが、それが当たります。

メイ(may)、、、一部の情報を切り取って勘違いしたり、似ている情報と錯誤したりといった原因で生じるエラーのこと。「たぶん~だろう」という思い込みからおきるエラーのことです。ちなみに前回、取り上げたしょうゆとソースを間違える例は、ミステイクとしてあげましたが、ミステイクを分析するとセンスとメイが密接にかかわってくることが多いです。

ブラインド(blind)、、、これは時にそれは仕方ないよといわれることもあるようなエラーですが、自分の五感の届かない範囲の情報収集が足りなかったために起きるエラーです。
例えば、家にいて、外で雨が降っているのに気づかず、ベランダに干していた洗濯物を取り込まずぬらしてしまうとかですね。もし休日で家にいるのが洗濯物を干したのではないお父さんであれば、雨が降っているのは気づいたが(そしてもしかしたらお母さんが洗濯しているぐらいは知ってたかも知れないが)、洗濯ものを取り込むのを忘れてしまったなどが当たります。
最初のセンスは目の前にあるんだけど良く見ていなかったり、ボーっと見ていたりということが原因ですが、ブラインドは五感の届く範囲にない情報に対して判断できずエラーになってしまうという点が異なります。

ヒューチャー(future)、、、未来に起こるあらゆる不特定な情報が原因で起きるエラー。
ここまでの5つが複合して起こるさまざまな出来事を要因としておきるエラー。例を出すのが非常に難しいです。

ヒューチャー含め、それぞれまだこの記述では、不十分。つまりこれを読んでも、じゃあ何か対策をとって少しでもエラーが減らせるようになるかというとそうではないと思うので、次回以降にもう少しこの6つのエラーについて事例を挙げつつ解説していこうと思います。

ヒューマンエラーの心理学とは

以前ビートたけしの番組で、人が要因となった事故を取り上げて、そのときの当事者の心理について解析していました。
当時私も仕事上でよくミスを犯していて、何とかそのミスをなくしたいと思っていましたので、この番組を録画して見ました。その中でヒューマンエラーという言葉がでてきたのですが、これは人間がロボットではなく人間であるがゆえに犯してしまうエラーと言う意味です。

具体的にはヒューマンエラーは2種類に分けられます。①スリップ②ミステイク
スリップは何か用事を頼まれていたが、何か他のことをしているうちにやるのを忘れてしまうと言うようなものです。
ミステイクは、例えば自分の家でいつもしょうゆを赤いふたのびんに入れていて、ソースを同じ形のびんだが、緑のふたのビンに入れていた。あるときそのびんを逆にした。(しかしそれぞれのびんには間違えないようにちゃんとしょうゆ、ソースという注意書きを加えることにした。)このときに、家で握りずしにしょうゆをかけようとして(小皿にとるという手間はかけなかったとして)間違って、赤のふたの中身がソースのほうをかけてしまった。というような場合です。

さてヒューマンエラーというのは防ぐのが難しいそうです。確かにほかの事に気をとられて、言われたことを忘れてしまうことを完全に防ぐのは難しそうです。また過去の思い込みで動いてしまうことも、ロボットとは違い一部の情報で推測して行動を起こすという人間ならではの優れた機能でもあり、この機能を完全に制御するのは難しそうです。

とはいえ私はこれ以後、自分のヒューマンエラーについて観察し続けてきていて、いまだに良くヒューマンエラーを起こすのですが、その理由についてもっと基礎的な認知の機能における自分の特徴なども把握できるようになりました。そのような観察記録も今後このブログで取り上げていきたいと思います。

2011年3月21日 (月)

知恵が生まれる瞬間(ワンピースとイエスキリストの言葉から)

何かひらめきが生まれる瞬間ってどういう情報の化学作用が起きているのだろうか
これは私が15年ほど前からテーマにしている事で、あるとき一定の結論は出したのですが、
今も継続して考えているテーマです。

この記事では、その結論については触れず、最近興味を引いたひらめきの瞬間について、とてもよく似ていると思う二つを取り上げたい。ひとつはイエスキリストの有名な言葉「罪なきものは石を投げよ」である。そしてもうひとつは、大ヒット漫画であるワンピースの中のあるエピソードである。

ちょっとうろ覚えなのですが、イエスキリストは民衆からリンチを受けようとしている女性を何とか救おうとする。しかしその女性は売春婦であり、責められて当然の人間なのである。当時の倫理観から行って、単にかわいそうであるとか、そこまでしなくてもというような話をイエスキリストがしたところで、民衆が耳を貸すはずもない。そしてイエス自身の中にももしかしたら、その女性は責められて妥当で許すべきではないという気持ちがあったのかもしれない。しかし見ていて痛々しい何とか救ってやりたいという気持ちも真実である。まあ、そのような葛藤の状況であったと思われる。そこででたのがこの言葉である。情でもなく、ごまかしでもなく、民衆を押し切って強引に解決させたのでもない。倫理観を放棄したのでもない(売春婦といえども石など投げてはいけないといっているわけではない)まさしく、知恵が解決したのである。

一方ワンピースのエピソードでは、ラブーンという鯨が昔親しくした友人を待ちわびているが、いつになってもその友人は帰ってこない。そのため、何とか自分がいる湾から出て探しに行こうと岩に頭をぶつけて出ようとする。傷がひどくなるからやめろといっても、鯨はいうことを聞かない。見かねたルフィーは、そのラブーンを殴り倒しそして、「俺は強いだろう。悔しいか。今日のところは引き分けにしておいてやる。勝負は俺が航海から戻ってくるまでお預けだ」と言って、ラブーンに新たな待つ意味を与える。その約束のしるしとして、鯨の傷だらけの頭に自分の船の旗と同じマークを書く。鯨は新たに結んだ約束のしるし(友情のしるし)のおかげで、それ以降頭をぶつける事はなくなった。

この二つの話に共通することは、どちらも妥協して答えを出したのではないということ。一見解決は困難に見えるようなこと、両立しない二律背反の状況を解決してしまっていることである。

この両者のひらめきはなぜどうして生じたのだろうか。大変興味深い。逆に言うと、ひらめきが生じないとき私たちはどのような思考に陥っているのだろうか。

お客さまは神様だって誰が言い出したんだろう

お客様は神様だって誰が言い出したんだろう

お客様はとにかく偉いんだという意味で使われるイメージがありますが世間一般にもそうなのでしょうか?そうだという前提で議論をしていくと、私はこの言葉が大嫌いです。理不尽な客に困らされたり、もめたりした店員に対して上司が一方的に店員を攻めている、あるいは攻めないにしても言いくるめている映像が浮かんでしまう。

経営者が自分の都合のいいような結論を得るために後付けで作り出した言葉のように思えるからです。商売、経済観としても決して深いとはいえないと思います。

むしろ、ヨーロッパ型のお客様とは金銭とサービスの提供という契約関係にあるなどの方がすっきりする。私が言うなら、お客様とはお金を受け取り、それに対して一定水準のサービスをするという約束がありその約束を果たさないのは恥ずべきことである。というような言い方の法が好きですね。何かプライドが感じられる。

もっと極論すれば、お客様は神様だというのは、世の中お金がすべてだといっているようにも聞こえる。(厳密に言うと私はお金に汚いというイメージがあるわけではないが、ここではお金を人の気持ちなどより上位におくことにより汚いイメージが生じている)

結論としては、お客様は神様だという言葉は、不道徳であり、もう死語にしたほうがいいと思う。

イチローが240球投げても疲れないわけ

イチローが練習で240球投球練習をしたときにスポーツ記者に「そんなに投げて疲れないんですか」と聞かれて、「投げるときに意識を置く場所を、投球ごとに分散させているので疲れない。多分、同じところにずっと意識を集中させることによって何かが分泌されなくなるんでしょうね」といったとのこと。

これを耳にしたときに、これを自分の仕事や勉強に当てはめて考えられないか。と思ったのですが、その後何か役立てることもなく忘れ去っていたのです。これは2009年9月の日記に書かれていた内容で、是非今後役立てたいと思います。

と終わりそうな勢いですが、これだと何も具体的になっていない。これではだめだ。
具体的には、今後英語の長文読解の勉強のときに、必ずもうひとつ別の参考書と照らし合わせていったりきたりしながら勉強することにしてみよう。長文の1段落読むごとにそこにでてきた構文のうちかならずひとつを、別の構文の参考書でチェックしてからもとの参考書に戻るというやり方で疲労が和らぐかを試してみよう。

プチ断食をしたい方におすすめ成田山

最近ダイエット、デトックスのためにプチ断食を行う人が増えているようです。私もこれまで何度か断食を行ったことがあります。

その効果については長くなるのでまた次の機会にしたいと思います。
ここでは断食ができる場所としてあまり知られていない成田山について紹介します。

通常断食を行う方法としては、もちろん自宅で行うこともできますが、さまざまな誘惑に囲まれたなかで一人で行うのは難しいという方のために、さまざま施設があります。ネックは利用料金が高い(普通の旅館に泊まると同じかそれ以上)ということです。

その点成田山は格安。修行の一環として奉仕で行っている側面があるからだと思います。
まず布団のレンタル料という名目で5千円(二泊三日)で、そこから一泊増えるごとに千円追加料金が発生します。最長六泊七日までしか行えないのですが、それでも9千円ですみます。
これに入山前に健康診断を受ける義務がありこれが3500円くらいでした。

注意点は体力を失わないようにと説明されていましたが、断食中入浴やシャワーが厳禁でした。ただ施設がないだけじゃないのか?とも思いましたが。
また朝5時に起きてお墓の掃除をして、その後近くのお堂に行って一緒にお経を読まなければいけないという義務がありました。

効果について具体的にはいいませんが、効果はあります。
成田山では断食中飲んでいいのは、水道水のみで持ち込みのミネラルウォーターもだめといわれました。以前断食したときは、ミネラルウォーター、お茶、無糖ミルクなしコーヒー、はOKで水酸化マグネシウムという宿便を出す液体も飲むようにいわれており、このときに比べると、体の浄化効果は少なかったように思います。もしデトックス効果を求めるなら、水道水しかだめなのは仕方ないとして、とにかく水をたくさん飲むといいのかなと思います。一日湯のみ20杯がノルマになっていて、私は毎日ぎりぎりノルマ達成でした。

ちなみに以前やったときは14日間。成田山では六泊七日だったのですが、それでも14日の時の6日目の方がすっきり感があったような気がしました。

菜食についての良くある誤解

私は15年前くらいから菜食になっているのですが
それを知った職場の友人から、どこからたんぱく質を取っているんですか、納豆とかからですか(良く昼食時に納豆を食べていたからか)といわれることがあります。
まーそうですねと答えるんですが、実際には別に大豆食品や卵(私は卵、乳製品はOKなベジタリアンです)など蛋白源といわれるものでなくても、野菜や、穀物からでもたんぱく質は取れるのです。ただ、まあそんな説教を始めても仕方ないので流すことが多いですね、本当に興味がありそうに聞いてくる人には本当のところを伝えますが。

ここからもう一歩踏み込んで話をしますと、上の流れだと、鳥、豚、牛などの肉や魚でなくても、また、卵、乳製品でなくてもという、肉>魚>卵>乳製品>大豆>野菜、穀物の図式になるかというとそうではないのではないかと思います。

以前私は山梨に住んでおり、その時にこのことについて考えていて、富士山に登るのに三つ峠から登るのと、河口湖から登るのとどっちが楽だと思う?という話にたとえてみました。
つまり、3776メートルの富士山に登るのに、1700メートルくらいの三つ峠から登ると3776-1700=2076、河口湖からだと3700メートルくらいはあるから、三つ峠からのほうが近いというこの論理は正しいですか?もし三つ峠から富士山にロープウェイでもあれば別ですが、そうでなければ、三つ峠からは一度ふもとまで降りて、結局河口湖から登り直さなければならない。つまり河口湖からスタートしたほうが効率がよいということです。

これを食事に当てはめると、富士山が自分の体の組織になることで、動物の肉を食べるより、野菜や穀物などを食べたほうが効率がいいということなのです。

またもうひとつのたとえとしては、これは以前本で読んだ内容ですが、肉を食べるのは、すでにあるほかの車を解体してその部品(中古)から、別の車を作るようなものということが書かれていました。

菜食については、いろんな議論がありますが(ビタミンB12欠乏の問題など)、いまやWHOにおける健康な食生活の指針においても、植物性食品を中心とした食事がよいということが提唱されており、これから菜食傾向の食事へと人類の性向が変わっていくのではないかと思っています。

2011年3月20日 (日)

被災地対策、年度末の道路工事

無駄な公共工事といえば、最近はダムや高速道路の事が良く出ますが、20年前くらいは
年度末の道路工事のことが良く取り上げられていました。必要のない工事なのに予算消化のために行っているのではないかという理由です。

今日が3月20日なのでもう手遅れかもしれませんが、あの工事を差し止めてその予算を被災地の復興予算として付け替えられないのかということを考えました。業者の方も工事取り止めだと収入がなくなり反対かもしれませんが、予算はそのままに工事の内容を変えるのであれば反対も少なくなるのではないかと思うのです。どうでしょうか。

さて年度末の工事について疑問がもうひとつ、あの工事って無駄といわれていますが、
一応それなりの名目はつけているはず、昔私が警備のバイトをしたとき道路工事の周辺の
警備をやったことがあるのですが、マンホールの周りを掘って、水道管だか何かを付け替えていたような気がします。もし老朽化した地下の配管の工事だとすると、何年に一回は付け替えるというような基準があるはず。もし今後無駄な工事にメスを入れるなら、この老朽化の基準を見直すというアプローチをすればいいのではないでしょうか。

そしてもう一度被災地の状況との比較で考える時、もしかしたらその工事を一年先送りにした結果水道管が破裂する可能性が5パーセントあったとしても、被災地の惨状を回復させるほうが先決だよねというコンセンサスを得られれば、今年度分も間に合えばそうして欲しいですが、翌年度分工事についても予算付け替えで被災地復興予算に回すというのはありだと思うのですがどうでしょうか?

2011年3月18日 (金)

正直に気持ちを伝える会話術

心理学の基礎知識という有斐閣ブックスからでている本からヒントを得て書いています。
この本の149ページにホピインディアンの言語(ホピ語)について書かれているのですが、
ホピ語では、英語の過去、現在、未来という時制に対して、
事実の報告、記憶にもとづく事実の報告、期待の記述、法則性の記述という別種のシステムが取って代わっている。そうです。

少し考えてみてください。ホピ族の文法に基づいてもし話そうとしたら、どういうことがおきるでしょうか。とてもうそがつきにくくなるのではないかと思います。実はインディアンはうそをつかないのではなく、その言語体系がうそをつきにくくさせているのではないかと思いました。

勝間和代さんが提唱されていた空・雨・傘のフレームワークに通じるものを感じました

これは情報を事実→解釈→行動に分解して、思考を深める手法で
空、、、事実。黒い雲が急に広がってきた
雨、、、解釈。雨が降ってきそうだ
傘、、、行動。傘を持って出かけよう
というような、情報収集、、、分析、、、行動の方法です。

よくテレビなどで、この件については小沢一郎氏は裁判で明らかにするだけでなく、有権者に対してしっかりとした説明責任が求められます。こんな報道がありますが、これをホピ語風に砕いて言うと、、、

この件(これは今報道した政治資金についてのことですが)、これについて、小沢一郎氏は
これまで有権者に対してしっかりした説明をしてこなかったと私は事実認識をしております。この事実認識、情報に基づいて私の意見を述べると、裁判でその成否を明らかにするという小沢氏の考えには、賛同しません。有権者に対してしっかりと説明するのが正しい責任の取り方だ言う考え方があり、多くの視聴者もそのように考えているのではないかと私は思います。(実は特に厳密に考えてはいないが、そういった言い方をするものだと考え、求められます。という言い回しで表現してみました(笑))

こんな感じでしょうか、実際には、これほど回りくどい(と私は感じている)方法をとると、会話は成り立たない(場合が多くなると思いますが)、と思いますが、時々このように自分の発言をチェックしてみると、自分の発言の不正直ぶりをチェックできて(私の経験から、自分の不正直ぶり、知らず知らず取り込んでしまっていた先入観をチェックできると思います)いいと思います。

あー、ちょっとくどい文になったかな。もしかしたら、この投稿すぐに消しちゃう可能性がありますので、注意ください。

7人がけ運動を起こしませんか

最初この記事を書こうとしたときに保存に失敗してしまいまして
今こうして書いているわけですが
地震がおきてしまったことで、ちょっとそれどころじゃないのではという気もするのですが

電車の7人がけの長いすって、かなりの確率で6人がけになっていると思うんです
6人がけをちゃんと7人がけにすると16%増になりますから
もっとちゃんと、みんな7人がけにしようよと私は思うわけです

その具体策ですが

「この長いすは7人がけですよ」ともっと大きく明確に、表示をするように鉄道会社に意見を出す
これは今この時期は控えたほうがいいかと思います。鉄道会社も今大変だと思うので

もうひとつは、7人がけのいすの4人がけの方の中央に座るようにする
この位置に早い段階で誰かが、きっちり線にあわせて座ると、その後両端に座ったときに
左右に2人分ずつの空きスペースができ、4人目5人目の人はそこが2人分のスペースであることが明白なのでもう一人座れるように座ってくれる。結果7人がけになります。たとえ4人目5人目が多少真ん中によっていても、後から来た人が「ここ入ってもいいですか」と言いやすいぐらいのスペースは空いている。

この真ん中の人が少しでもずれてしまうと、片方は、2人には広いけど3人にはきついスペースになり2人がゆったり座り、片方は1人には広いけど2人には狭いスペースになり、1人が座り後から来た人が「すいません入ってもいいですか」と言うには無理がある狭い空きスペースしかないという結果になってしまいます。

ダイヤモンドの一ページという以前の記事がありましたが

なんかブログに書くこと思いつかない、ひらめかないんだよなあ
とつぶやき広場でつぶやいていたんですが、

過去の自分の日記とか、メモとかを引っ張り出して書けばいいのではないかと思ったのです
元々以前の日記を読み返してみたいなあとずっと思っていたのですが
なんとなくめんどくさいと思っていたのですが
これをねたにブログを書けるということになれば、いっちょうにせきになりやる気が出てきます

以前書いたダイヤモンドの一ページという記事のなかで同じことを書いています
何か面倒なことがあるときは、そこにもうひとつプラスの効果が得られるように工夫すればよい。そうすれば、その行動単体の持つ4要素(現状のメリットデメリット、将来のメリットデメリット)は変わらないにしても、そこに将来のメリットだけを加えることになり行動の動機が高まる。
というわけです。

ちなみにダイヤモンド(くらい価値がある)の一ページが載っているのは、下の本です。

2011年3月15日 (火)

PC検定4級合格しました(2) 復習に対するネガティブな感情

前回の続きです
この教室は、過去のビデオの学習に使うなら月2時間は無料というシステムでした
このシステムはあまり利用する人がいなくて、廃止になりました
私はこのシステムを100パーセント利用していました

復習に対するネガティブな感情ってありませんか。私はすごいあります。
その内容を列挙してみると

つまらない
めんどくさい
一回やったことなのに忘れていて悲しくなる
なにをどのタイミングで復習すればいいかわからない
復習する時間をとることで、先に進めなくなる

その対策ですが

つまらない、めんどくさいのは私もそうでした。実は学習済みのビデオを2泊3日200円で貸し出すサービスもあるので、数回利用して復習しようと思ったのですが、みごとに一回も一分もやりませんでした。そのため復習は必ず、教室で時間をとってやることにしたのです。

また途中からは、プレミアサイトの検定向けテストを解くというのをしていました。ここでできなかったものをテキストで復習するという方法です。いろんなやり方で復習するとつまらなさは減ります。ただ、テストをやって、あまりにもわからなさ過ぎだとこのやり方はうまくいかないかもしれません。

習得度を6から7くらいにまで持っていっておくことが大切かもしれません
そのために私がやったのはまず予習。講座を受ける前にテキスト2回分を一読して、(最低でも5から10分)3色ボールペン読書法を応用して線を引いておく。ということを行いました。
一応授業についていっていればその後しばらくして忘れてしまっていても、ちょっとテキスト見れば思い出せるというのが私の言う6から7です。

復習はまとめてやるとめんどくさいのである種のシステム化を行いました。よくアメリカの
心理学者の忘却曲線というのを取り上げて、どのタイミングで復習するといいと書いてありますが、あれです。(ここまで読んでめんどくさいと思った方いますよね)そうです、そんなことは私も昔から百も承知ででも試してなんかきませんでした、だってそんなスケジュール自分の普段の生活の中でうまく取り入れて細かく組み込むなんてできないよって思いました。
そんな時読んだのが、下の本でした。

この本のあるページに、効率の良い復習のやり方が載っていて、これを取り入れたら、
復習に対するストレスが減りました。是非購入して試してみてください。何ページというのを
書かないのは、その情報だけが流れ、そこだけ立ち読みする人が増えるのを防ぐためです。それって著者に対してとても失礼だと思うからです。もちろんそこだけ読んで、いいと思うか、良くないと思うかを判断して購入を決めるというのはありだと思いますけどね。
ちなみにこの復習方法だと、テキストを一通り終えて、テキスト1冊分まとめて復習というのはやる必要がありません。やるとしても、そのときは負担がとても減っています。

PC検定4級合格しました

PC検定4級合格しました
勉強をしていて良かったこと、工夫したことを書きます

まずお世話になったパソコン教室について
パソコン市民講座という教室に通っていました

ここは一こま60分で、一本40から50分くらいのビデオを見ながら指示に従ってPCを操作していく勉強スタイルでした。つまり、わからないところは巻き戻したりして見たりする余裕もあります。
私の場合、眠くて聞き逃したときに巻き戻すことが多かったです。

内容もペースがゆっくりです。一本のビデオで扱われる内容はスキルが一つか二つでした。
また、何時間か経過するとプレミア会員となり、会員サイトでもオンライン学習(主に復習テスト)できるようになります。まったく至れりつくせりといった感じでした。

ちなみにここのPC教室の学習2大方針、、、ペースを守ってリズムよく学習する、復習重視だそうです。
私の入ったときは月8時間以上の受講を勧められました、今は週2回16時間の受講を基本としているらしいです。私は、都合により週1回で2時間ずつ(月8時間から10時間)で最近は受講しています。

2011年3月13日 (日)

山月記のなぞについて

山月記といえば高校の教科書に必ず載る文学作品ではないでしょうか
私はこの作品について論文を書いたことがあり、そのとき書ききれなかった部分についていつか書きたいと思ってきました。

ブログに書くに当たっては、場が適切だろうかと少し疑問に思う気持ちもありましたが、どうしても書きたいことであり、また、このブログの大きなテーマである、心にも関係することなのでどうぞ読んでみてください。

私が書いた論文というのは、私が筑波大学と上智大学の大学院修士課程入学の受験に際して提出した論文であり、出身が文学部国文学科だった私は、考えあぐねた挙句、文学作品である山月記の中にの主人公「李徴」の心理を分析するという内容の論文を書いたのです。

山月記では才能に恵まれた李徴が詩人を目指すもかなわず発狂して虎となってしまう。その1年後友人である袁参ががその虎と出会って虎である李徴の告白を聞きます。そして別れ際に、自分が心を狂わしてまで取り組んだ詩を後代に残したいとの思いからかつてつくった30篇の詩を読み袁参はその詩を聞き部下に書き取らせた。
しかし袁参はその詩を聞きながら、作者の非凡な才能を感じながらも、第一流の作品となるにはどこか非常に微妙な点において欠けるところがあるような気がすると感じていた。

この非常に微妙な点において欠けるところとは何なのか

これが山月記におけるなぞなのです

李陵/山月記改版

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価格:380円(税込、送料別)

このなぞについて私の結論を書こうということです
さてこのなぞがなぜいまだになぞのままなのか
それはこの作品中に書かれていないからに他なりません
かかれていないものはわからない、それをあれこれいってみても無駄なことという過去の論文もありました

実はこの作品中には30篇の詩の内容については言及はありませんが、
李徴がお笑い草ついでに虎になった自分の今の心境を詩に詠んでみようと詠んだ詩については山月記本文中に記載されており、唯一のヒントとなっています。

私の推理過程(推理とは言いたくないですが)としては、

  1. 文中に書かれていない30の詩には、どこか微妙に欠けている点がある
  2. それは文中の詩にもあるはずである
  3. 文中の詩には虎になった理由が述べられていない
  4. ここで李徴が自我の醜さを赤裸々に告白している山月記本文と、それが書かれていない文中の詩を対比構造で考えてみる。
  5. 文中の詩は仮面的表面的あるいは客観的傍観者的記述であり、対して山月記本文にある李徴の告白は真実の吐露である
  6. 文中の詩には激しく心揺さぶられるものがなく、李朝の告白にはそれがある
  7. 李徴の告白(つまり山月記本文)は一流の作品となりうるが文中の詩では人々の心を揺さぶるものが欠けていて一流の作品にはなりえない。
  8. このことが文中にない30篇の詩についても当てはまるだろうか?文中の詩1篇の詩がそうだということと、30篇の詩、李徴の詩全般について言えるかということの間の飛躍を埋めなくてはならない。文中の詩では、虎になった自分の身について語るうえで、仮面的表面的となっていることが言えるが、30篇の詩がすべて自分の身の上を語る詩であるわけではないだろう。
  9. ここからは心理学的知識を読み解く上での介助知識として使用する。実は知識などではなく、私の自己分析から得たもの実体験と重ね合わせての感得によるものだということを述べておきたい。本に書かれているような知識も、それは本で学ばなければ得られないものではなく、最初は誰かが発見したものでありそれは誰にでも他人から教えられることなく、自己の中に再発見できるものなのだということである。
    さてその知識とは、臆病な自尊心しか持ち得ない人間、つまり他者との比較において、他者に優越することを最大の価値とする人間にはとらえられない感性というものが存在するということである。
    例えば自尊心と聞いてなにをイメージするか?という問いに対してある研究者の論文では「そもそも自尊心とは自己と他者の関係における一種の自己顕示であり、自己存在の主張であろう。とすればこれは本来的に自己本位であり、自己中心的であって、必然的に他者の軽視からさらに否定につながるものである」と書かれていた。
  10. 思考の枠というか心の枠というのは恐ろしい。なぜならその人の、思考や感性を狭めてしまい、世界をあるがままに見られなくしてしまうからである。私も以前そうであった。他人の努力に対してそれが低いレベルのものであれば内心くだらないと思いつつ世間体で心にもないほめ言葉を語るような人間であった。今なら、ほめるというのではなく、その人自身の成長やそのとき感じる達成感のようなものに興味を感じ、
    詳しく話を聞き共感の糸口を探ったり、何か自分に置き換えてのヒントを得ようとするだろうと思う。残念ながら今でも私はその種の何かを達成した時の感動や喜びについて感じる能力について弱いのではないかと思っている。何かに打ち込み、たとえ失敗して何も得られなくともそれでいい、自分は全力を尽くした、やり遂げたというような経験、が足りないせいなのかもしれない。しかし以前のように、カッコばかりつけている批評家然とした自分からは多少抜け出せるようになり、その結果得られたのは、他人との比較などでは揺るがない、自尊心であった。
  11. 李徴が臆病な自尊心を持つがゆえに得られなかった感性とは?例えば、何かを達成したときの感動、自分をほめたいような気持ち。についても、その人のすがすがしい表情を見てもそれに気づけなかったかもしれない。また、農作物を育て、収穫するときに感じる喜び。なども感じ取れないだろうし、自然の動物や、植物が生きていることに対して、尊いと感じることもできないだろう。
  12. 山月記本文中にこんな記述がある「まったく何事もわれわれにはわからぬ。理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受け取って理由もわからずに生きていくのがわれわれ生き物の定めだ」自分に都合の良い運命論をこしらえてか、どこかから引っ張ってきて当てはめているに過ぎないように私には思える。実感や経験の伴わないこしらえた文章というのはあるコツというか解析方法でわかる。この本文中の記述について思うのは、おとなしく受け取ってなどということが果たしてあるのか、少なくとも人間なら逆らい、戦い、そしてあきらめ、しかしあきらめきれずに祈り、そして受け入れる。受け入れたときに、希望が見え、理由がわかり人生に意味が生じる。そのようなもっと動的なものであるはずだということである。
  13. ここまですでに言い尽くしていると思うが、結論を書かなければならないとしたら
    「非常に微妙な点において欠けるところ」とは何なのか
    の答えは、、、臆病な自尊心を持つために、共感能力を欠く李徴の心ということになります。そういった心ではとらえきれない人間の性情、あるいは価値観があり、描こうとしても表面的になり読者に微妙な違和感を感じさせ、人々の共感を得られない、心を揺さぶられないということなのだと思います。 

ガスの復帰方法

ガスメーターが赤く点滅しているとガスは止まっています。
ガスメーターの黒いボタンを押して3分後にガスは復旧します。
(三分後、赤の点滅が止まっていればガスは使えます)
下のURLがガスメーターの図
http://eee.tokyo-gas.co.jp/safety/images/img05_07.gif

仕事場で1日過ごし、12日にうちに帰って見ると、ガスが止まっており風呂に入れませんでした

ガス会社が安全のため供給を止めているのかと思っていたのですが、ネットで調べると単に家のガスメーターについている、地震発生時の停止システムが働いたためだった見たいです。

2011年3月12日 (土)

大地震の日、極私的ないざこざ

日本列島大地震と言っていいほどの規模の大地震
1月の中旬に大規模な地震雲を見て2~3日後に地震が来るのではと思ったのですが、その後音沙汰なく予想は外れたと思っていたのですが、もしかしたら昨日の地震の予兆だったのかもしれません

さて、当日仕事をしていて、おきたいざこざについて書きます。
極私的という言い回しは、SF作家の筒井康隆氏のエッセイで使用されてた言い回しです。


周りを置き去りにして、自分勝手に仕事を仕切り進めていこうとするXがいて、その人がAの部下を勝手に配置したり、その後今度はBの部下を通してAの部下に指示を出させる。ということがおき、AはBに対して、現状を問いただし、とにかく自分の部下を元の配置に戻せとBにいうが、Bは現状をあまり良く把握しておらずまた他の仕事で忙しいのか、Aに対してこの一連の仕事はしばらく私に任せてもらえないかとのこと。

Aというのが実は私なのです。そしてこのことがおきたのは、地震後3~4時間後でした。この一大事に自分を捨てて譲るのが正しかったのだと多分思います。でも私は、そのときとにかく腹に据えかねていたので、断固たる、妥協のなさで、とにかく現状を回復せよと一点張り、そちらのあーだこーだは知らないよといった態度をとったのです。

ここでひとつポイントなのは、私が自分の部下の配置の現状の責任がXにあることは知らなかったことです。また、私と話すときに、BもXの責任であることを明確にしなかったので、私はBの指示だと思っていてBに対して怒っていたこと。それ以前のBの行動にも同様な行動があり、またかという気持ちがあり、何でいつもいつも自分が大人の対応で水に流し、ストレスを抱えていなければならないのかという積もり積もった思いがあったこと。さらに当日、もう一人Yという別の人の同種の言動に対してストレスがたまっていた。

このような状況だったのです。そのとき、私はこのような地震直後の状況をわかっていつつ、しかしすでに緊急時ではなくなっていることもあり、てこでも動かないという態度をとってしまったのです。

もしここで、Bの言動に「本当に申し訳ない。でも今はどうしても忙しくてそれができないので、勝手だとは思うが、譲ってもらえないか」というニュアンスが感じられれば、私の感情も、リセットできたのですが、現状に対してさらりと流して任せてくれの態度が、私の態度をかたくなにさせたのだと思います。(Bにとっては、直接自分の責任ではないからそうなったのかもしれませんが)

題名どうり極私的ではありますが、実はコミュニケーションをとりつつ、チームで成果を挙げていく仕事にかかわるチームのリーダーの人にとっては、良くあることなのではないかと思い記事にしてみました。

2011年3月 5日 (土)

歯科検診で教えてもらったお得情報

前回すごい歯医者さんだったとの話でしたが、その続きです

その歯科検診で歯を強くするのにフッ素入りの歯磨き粉を使うといいですよとのことだったのですが、「でもうがいしちゃうと、フッ素が歯につかないんじゃないかと思うんですけど」と聞いたところ「実はそうなんです。ですから歯磨き後、うがいは口の中でよくくちゅくちゅゆすいで一回だけでいいんです。気持ち悪いと思うかもしれませんが歯のためにはそれがいいんです」とのことでした。

もうひとつのお得情報です。私は「とてもきれいな歯(並び)ですね」と、途中検診をのぞきに来た歯科医さんがいってくださったのですが、そのとき衛生士さんが「ただかみ締めがあります」
と言っていて、かみ締めとは、上の歯と下の歯をかみ締めすぎることで削れてしまっている状態で、歯軋りなどがあると生じるそうです。歯軋りしますかと聞かれたのですが、「私は一人暮らしなのでちょっと自分ではわからないのですが、と口ごもり答えました。なぜここで自分の性生活の充実度について語らなければならないのか?とちょっと困りましたね。」あっこの部分ちょっと私のブログポリシーに反するのであとで消すかもしれません。検索で場違いなところに並ぶのもいやなので。また、PCを良くやられますかとも聞かれました。データでPCを使用しているときがもっとも歯に圧力がかかっていると言う結果がでているそうです。

ここでテストです。口を閉じてみてください。

その時どうですか?上の歯と下の歯はどうなっていますか?このとき上下の歯が接しているのは実は良くないそうです。何かストレスがかかる状態であればなおのことよくないとのこと。ではどうすればよいか?も教えてもらいました。実はこのブログを書いているときもそうしているのですが、単純に、では上下の歯をあわさないようにしましょうというのは難しいらしい。そこで、舌を上の前歯の歯茎の所につけるように普段すると良いそうです。やってみてください。舌をそのようにすると自然に上下の歯の間に隙間ができるのが確認できたでしょうか。皆さんもぜひお試しください。この方法はその歯医者の皆さんもやっているとのこと。さらに完璧を期すなら、マウスピースをして寝るといいそうです。これもその歯医者の皆さんやっているとのこと。私も、次回の検診でマウスピースの型を取ることにしました。
ちなみに歯科検診は、今回含めて3回の予定、歯石を取るのと、茶渋のついたのをクリーニングしてもらうのをやってもらう予定です。

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歯科検診に行ってきました

2月23日歯科検診に行ってきました
定期健診というもので治療を受けてから半年とか1年置きに歯医者さんからはがきで検診受けませんかと連絡が来るのです
しばらくほうっておいたのですが、今年はこれから忙しくなりそうなので体のメンテナンスをしておこうと思い、受けることにしました

私が通っているその歯科医院は行くたびに進化していて驚きます

あるときはスリッパの殺菌消毒機械が置かれていたり

受付におすすめの歯磨き粉やうがい薬や歯ブラシやそういったものが並べられていたり

子供をあやす用なのかおもちゃがいっぱい用意されるようになっていたり

前々回の検診時は歯の磨き方を丁寧に教わり、その磨き方を説明した資料をもらったので、それ以降その資料を洗面所の壁に張り磨くようにしたのです
さすがに今はその磨き方を覚えたのではがしましたが

前回の検診時は、歯間ブラシというものを進められてそれ以降使うようにしています
*歯間ブラシを習慣にするコツは歯を磨く前に使うことだそうです。歯を磨いた後に使おうとしても、磨いて気持ちよくなっているので忘れてしまいがちなのだそうです。

さて今回ですが

まず事前の説明の丁寧さに驚きました。

「最初に簡単な歯の状態のチェックを行い、その後歯の写真を取らせてもらいます。その際歯の裏側の写真をとるので鏡を2回お口に入れさせてもらいます。ひとつは小さい鏡で、もうひとつは大きな鏡で、大きな鏡を入れるときはお口に器具を入れてお口を大きく開けてもらいますね。その際器具を○○さん(私の名前)に持ってもらいますのでお願いします。その後レントゲンを上5枚下5枚の計10枚取らせてもらいますね。最後に○○さんの普段の歯の磨き方が正しいかどうかチェックするために青い薬を塗って確認します。この薬でうがいすると、磨き残しのある部分に色がついたままになります。そして最後に歯磨きの指導をして終了となります。ここまでで約1時間となります。」

こんな感じの説明がありました。各工程においても例えば、レントゲン室でも、撮影一回ごとにレントゲン室を開閉して衛生士さんが出入りして、歯に入れる器具(金魚救いのお玉の紙のないようなものを口に入れてとるのですが、その角度を1枚ごとに変えてとる。多分反射鏡のようなものもついていて、放射線をうまく通すようにしているのか)を付け替えるという面倒なことをやっていたのですが、丁度こちらがまだやるのかと嫌気が差しそうなタイミングでうまく「これで上側終わります次下側とりますね」とか「はい後2枚で終わりです」とか声をかけてくる。

さて最初の歯のチェックの結果ですが、パソコンに取り込まれており、プリントアウトしてもらうことができました。お口の健康手帳というものでした。チェックの際針金のようなものを歯の間に差し込んで、歯周ポケットの深さ(深いと良くない)をチェックしてたらしく、結果には2ミリ、3ミリとかの数字と、出血が見られるところに赤いしずくマークがついています。

チェック中から不思議に思っていたのですが、チェックしながら特に手を止めるわけでもなく片手で何か書いているそぶりもありませんでした。ここで思い出しました。衛生士さんの近くには机とかなかったんです。1メートルくらい先に机とその上にPCはありましたが。とうとうたまらずに聞いてみました。「あのこれっていつの間に記録してたんですか」すると、アイポッドで記録してましたとのこと。そうかそうか確かにボタンを押すくらいのことは気づかれずにできるかもしれない。別に気づかれないようにやっているわけではないだろうが。

すべての治療が終わった後に、衛生士さんに、何か質問はありますか?と聞かれたとき、
「あのう、ここの歯医者さんは来るたびに進化しているんですけど、何か医療器具メーカーとかからコンサルティングとか受けているんですか?」下手に警戒されて聞きたいことを聞けなくてもまずいので、経営コンサルティングとかではなく、新しい機材の導入に驚いた体にすればそれほど意外な問いかけでもなかろうと思いこんな言い方で聞いてみました。本当は機材もそうだけど、あまりに完璧なヒューマンコミュニケーションのほうに驚きを感じていたのです。

「いえ私たちは頻繁にセミナーに行っています。日々勉強ですね。」との答えが返ってきました。やはりという感じでした。きっと、専門のコンサルタントなども呼んで指導を受けているに違いない。歯科医院業界恐るべしである。

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