« 楽天アフィリエイト始めました | トップページ | 安保徹「疲れない体をつくる免疫力」を読んで »

2010年9月 1日 (水)

性善説と性悪説

久々の記事です
ここ最近、週休1日で働いていて
そのせいか、心にゆとりとねたを練る気力がありませんでした

さて、もしかしたらこの話、ロングストーリーになるかもしれません

確か論語の孟子の性善説で
井戸に落ちそうな子供がいたら誰でも手を差し伸べて助けるでしょう。
だから人間の本性は善なのです。という話があったと思います。
これはこれでいいと思います。

このことをもっと掘り下げて考えてみます

考察1電車の中で、目の前におばあさんが立っていても譲らない若者はいます

考察2よく寒そうな格好をしている人をみてこっちまで寒くなるという人っています(私の経験上この発言をするのは女の人のほうが多い)

考察3痛そうな場面を見てアーっ痛そう見ていられないと思うことがあります
皆さんもありますか

善なる行動が取れるかどうかは別にして、皮膚感覚というかそのレベルでの苦の共感
というのがあるということは言えるのではないかと思います

そしてここで自他の区別なく行動を起こせるかどうかが善かそうでないか(悪とまではいえないかもしれない)が決まるのではないかと思います

これは厳密にいつもそうだとは言えないのですが、
相手の苦の感覚のほうが自分の苦の感覚よりも実は先に来るのだということにあるとき気づきました

相手がのどが渇いて苦しそうだ→この水をあげれば(おっとっとこれをあげちゃうとこのあと自分が苦しくなるぞ。でもとても苦しそうだ。水は今水筒にこれだけあるから、、、と考え出す)

瞬間の感情が先、損得の計算は後に来るというのが本来の姿のようです
しかし、経験をつんでいくと相手に施していると自分の取り分が少なくなって損をするというような意識が芽生え、なるべく施さないようにしようという、方程式が心に根付いてしまう。そのうちもともとある瞬間の感情、相手への共感の感情など完全に忘れ去られ、いつも計算のほうが先に来るようになります。

そしてそれが普通になってきて、そのうち、席を譲る人を見て、あれは実は親切心ではなくて、いい格好をしているに過ぎないのだ、などと考えるようになる。自分に親切心などないのだから(本当はあるのだが忘れてしまっている)そういう親切心で行う行動というのが信じられなくなっている。
このように相手の行動を、自分の立場で解釈してしまうことを、心理学で投影といいます

以上で言いたいことわかってもらえたでしょうか

« 楽天アフィリエイト始めました | トップページ | 安保徹「疲れない体をつくる免疫力」を読んで »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549468/49318434

この記事へのトラックバック一覧です: 性善説と性悪説:

« 楽天アフィリエイト始めました | トップページ | 安保徹「疲れない体をつくる免疫力」を読んで »

無料ブログはココログ

最近のトラックバック